Minakata

 

別冊太陽 「南方熊楠」
森羅万象に挑んだ巨人
中瀬 喜陽 監修
2012年2月 平凡社 刊

 

 

 

2011年に紀伊半島を襲った大雨で大きな被害を受けた熊野地方。 歴史と自然を探索しながら歩く熊野古道。
明治から昭和のはじめにかけて博物学、植物学、民俗学に大きな足跡を残した在野の先駆者南方熊楠が今再び注目されているらしい。

私が始めて南方熊楠を知ったのは神坂次郎の「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」新潮社 1987年 である。 慶応3年という大政奉還の年に生まれ、アメリカ、イギリスなどを14年間留学、遊学し、大英博物館に勤務したり、雑誌ネイチャーの日本人として最多の投稿をしたり賞をとったりした後帰国。郷里の和歌山ではなく田辺市を中心に在野の研究者として明治大正昭和と破天荒な生涯を送った。  徴兵逃れだったとか、肩書きが無かったとかいう批判はあるが、日本のあの時代にこんな人生を送った人がいたのかと驚嘆した覚えがある。

この本は別冊太陽らしく図版、写真、自筆原稿やノートの写しなどあたかも熊楠記念館に入って資料を眺める以上に鮮明に熊楠の息吹を伝えている。表表紙の写真も彼がフロリダ州ジャクソンビルの写真館で撮らせたものである。

学校の成績は数学がだめで自分の興味のあること以外はしなかったためによくない。和歌山中学校時代の成績表が残っていて、出席日数学年で最低、数学の点数も低く全体の成績も7名中5番目である。
東大予備門も中退、アメリカ留学でもPacific Business College やミシガン州立大学農学校もほとんど通うことなく卒業もしていない。

一方で異常なほどの記憶力と読書力があり、友人の家に上がりこんで「和漢三才図会」(105巻81冊)、「大和本草」(貝原益軒編本編16巻など21巻)などを読みふけり、家に帰ってからその内容を克明に模写することができたという。

イギリス時代も大英博物館に入り浸って古今東西の古典などあらゆる資料を渉猟し、筆写しまくっている。 熊楠はメモ魔でおびただしい日記、ノート、筆写が残されている。 それらの資料がほとんど散逸すること無く残されているのは、妻松枝と娘文枝に負うところ大とされるが、膨大な標本までもがきちんと保管管理されて現代に残されていることは驚くべきことだ。

粘菌に関する研究が昭和天皇の目に止まり御前講義をしたことは有名だが、大酒のみで自在に反吐を吐くことができたり、喧嘩っ早く、長風呂と猥談が大好きなど親しみ深い愛されるべき性癖、奇行も多い。

熊楠の自筆の英文原稿は立派なものだし、イラストを交えた手紙、ノート、メモも非常に魅力的である。 この辺も熊楠の人気が高い理由のひとつだろう。

この本は別冊太陽という媒体を十二分に使用した魅力的な本に仕上がっている。 この本を読んでから熊野古道を歩いたり那智の滝を見たりすれば感慨もまた違ったものになること必定だと思う。