還暦からの出発

日々の出来事と経済の動きを語る。花とカメラ、PCについての情報も。

2017年11月

個体の寿命とエネルギー消費

講談社現代新書の「アポトーシス」という本を読んでいます。 その中に「個体の寿命とは何か」という小節があり興味を惹かれました。

寿命は動物種により大きく異なっているが、同一種ではその最大寿命はほぼ決まっている。例えばラットでは三年、ゾウは八十年、ヒトは百二十年、チョウザメは百五十年である。 この個体の寿命はどのようにして決められているのだろうか。

一般的に、動物の最大寿命は、エネルギー消費速度(時間当たりのエネルギー消費量)に逆比例することが知られている。

最大寿命 = k/エネルギー消費速度

哺乳類では体が小さいと、体の大きい鋳物に比べて一定の体積に対する体表の表面積が相対的に大きくなるため、体温をある一定の温度に保つために、多くのエネルギーを消費しなければならない。 すなわち小動物はエネルギー消費速度が速いのである。

この式からすると、体温を低くするなどしてエネルギー消費速度を落とすと、寿命が伸びることになる。 実際に冬眠する動物は、同一種で冬眠しないものに比べて長生きできる。

食物を制限してラットを飼育すると、長生きするといわれている。 また過度に運動させると短命になるともいわれている。 しかし、スポーツなどの運動を全くしないでエネルギー消費を落としても、寿命は伸びない。 それは運動をしないと、筋肉や各内臓の機能が低下し、早く廊下が進むために、結果として寿命を全うすることができなくできなくなるからだ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/95347/1/KJ00004736433.pdf

1992年に出版されベストセラーになった中公新書「ゾウの時間ネズミの時間」では哺乳類が一生に出来る拍動数は15億回だというのが定説だそうです。ハツカ ネズミの拍動数は毎分600回とヒトの10倍以上です。 その分動きは機敏で何をするにもちょこまかセワセワと動き回っています。 そしてその寿命は1/50
程度しかありません。 図1 : ゾウとハツカネズミの体重、心拍数、寿命

図2 : 哺乳動物の体重と心拍数との関係
http://www.chemiphar.tv/lifestyle_related_illnesses/heartbeat/index_01.html

この図は日本ケミファのHPから借用しました。
ハツカネズミの心拍数を計算してみると、寿命を3年として 600x60x24x365x3=
946,080,000 約9億5千万回になります。 ゾウの場合は寿命を100年として
約15億8千万回になります。

あるいは動物の心筋の細胞の中のテロメア遺伝子に、心拍数15億回という数字が埋め込まれているのかもしれません。

心拍数を上げる要素といえばストレスと運動ですが、高血圧の場合心臓疾患による死亡率は心拍数が高いほど死亡数が多いことがわかっています。
図3 : 心臓の病気による死亡数(千人当り)と心拍数 「心拍数が多いと、心臓の病気による死亡率が高くなります。」

適度な運動は心拍数は上がりますが、ストレスは下がります。 運動には肥満、糖尿病、成人病などの発症を抑える効果もあり、死亡率を下げる方向に働くと考えられています。 しかしあまりにも心拍数を上げる運動はまさに命を縮める可能性があるのではないでしょうか? 毎日何十キロも走るとか、毎日何キロメートルも泳ぐとか行き過ぎた激しい運動はかえって健康に良くないように思えます。

かといってのんべんだらりとストレスのない生活を送っていると、ヒトは脳や筋肉の働きが鈍くなり、病気にかかったりして却って寿命が短いことが多いようです。

元の木阿弥

室町時代の「何とか阿弥」という名前が時宗から生まれたという話を書きました。 木阿弥も同様です。 ただしもく阿弥といっても河竹黙阿弥はちがいます。河竹黙阿弥は江戸幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言役者です。

現在でもよくつかわれる言葉に「元の木阿弥」という表現があります。 一時的に良くなったものが再び元の姿、状態に戻ってしまうことを意味します。 たとえば1か月頑張ってダイエットしたけれども、2か月後には体重が元に戻ってしまって元の木阿弥になったとかいった場合に使います。

元の木阿弥の語源にはいろいろな説があるようですが最も有力なものは戦国時代の筒井順昭にまつわるものです。 (故事ことわざ辞典)

戦国時代の武将筒井順慶が、幼い時に父の順昭が病死した。
父の遺言によりその死を隠し、顔や声がよく似た木阿弥という盲人を薄暗いところに寝かせ、順昭がまだ寝床にいるかのように見せかけた。
その死は順慶が成人するまで敵に知られずに済んだが、順慶が成人した折に順昭の死を公表したために、木阿弥は用済みとなりもとの庶民に戻されたという故事によるものとされている。
語源には諸説あるが、この説が最も有力な説である

武田信玄や豊臣秀吉の死亡の場合も同様ですが、戦国の世で有力な武将が死んだ時、そのことを知った周囲の敵が一気に攻めてくるという危険性があったために、領主や首領の死を秘匿することがよく行われていました。 いわゆる影武者を立てたわけです。

興味深いのが筒井順慶の周りに木阿弥という非僧非俗の衆が近くにいたということです。 親戚でもなく正式な僧侶でもない、ましてこのものは盲目だったといいう僧形の怪しげな人物が取り巻きとして居たという事実です。

秀吉の母大政所の再婚相手であった竹阿弥(築阿弥)の出自もあまりはっきりとはしていません。 通説では秀吉の弟小一郎と旭の実の父だといわれていますが史実とは矛盾する部分がかなりあるようです。

有名なのは将軍足利義教、義政の同朋衆として仕えた能阿弥でしょう。 水墨画、連歌、香道、華道に通じたほか、書画の鑑定、屋敷飾りなどで能力を発揮したとあります。 その子芸阿弥、孫の相阿弥と能阿弥へと同朋衆としての役目は受け継がれていくきますが、もともとは木阿弥と同じ出自もつまびらかでない時宗の非僧非俗の僧だったと思われます。

世界大百科事典第2版には元の木阿弥の由来が次のように記されています。

仮名草子。2巻。作者未詳。刊記は延宝8年(1680)。初刊はこの5年前か。都西山の木阿弥というすりきり(無一物)が,困窮のあまり江戸に下って大名に近づいて出世しようと古紙子(かみこ)一枚で旅立ち,東海道を下って江戸に着く。金六町の知人に大金持と偽って寄宿。歌舞伎見物の帰途大金を拾い,太鼓持の案内で新吉原で遊興,高尾太夫と同衾(どうきん)するに至るが寝返りとともに夢がさめて,もとの西山の陋居。これが〈もとのもくあみ〉という語の始まりという。

こちらの方が艶っぽい話で話としては面白いですが、邯鄲の夢みたいで現実離れしていますね。 個の話でも木阿弥は無一文の旅の者とされています。

こんな説もあります。 (語源由来辞典)

妻と離縁して出家した木阿弥という僧がいました。 木の実を食べて修行に励んだものの、晩年心身ともに弱くなり、妻の元に戻ってしまいました。 その結果長年の修業が無駄になった、元の木阿弥になった。

今ひとつの説はお椀の朱塗りが剥げて貧弱な木椀に戻ってしまったことを「元の木椀」といい、それが転じて「元の木阿弥」になったとか。 これはちょっと無理があるような気がします。

阿弥と時宗

「以下、無用のことながら」という司馬遼太郎の短文を集めた本を読んでいます。 本のあとがきや故人の追悼に寄せた文章が多いのですが、前半では仏教に関する興味深い考察を含んだものが数多く含まれています。 その中の「浄土」 と題する季刊「アステオン」に寄せられた談話速記の中に、親鸞、浄土教と室町文化に触れた章があります。

室町時代のお葬式と僧侶、上人、聖の差について触れています。 僧侶というのは厳密にいうと東大寺か叡山で戒を受けたものだけです。 西行のように勝手にお坊さんになった者は僧侶ではありません。 当時お葬式は正式の僧侶はしなかった。 その役目はいわば非正規の修験者や非僧非俗の者たちが負っていたらしいのです。 そうした人たちのことを聖とか上人と呼んでいたそうです。

平安中期以降末法思想がひろがると、浄土信仰を庶民に説く僧たちが現れました。 彼らは念仏聖と呼ばれ寺院には定住せず、草庵を編んだり諸国を遍歴しながら修行しました。 市聖(いちのひじり)と呼ばれた空也、黒谷の源空、その弟子の親鸞らもその中の一人です。 鎌倉時代中期の一遍も諸国を遊行しながら念仏を広げ捨聖(すてひじり)と呼ばれました。

日本は室町時代あたりから非僧非俗の人たちが葬式という分野に入り込みました。 そしてそのほとんどが時宗の徒(時衆)だったといいます。 ただ一遍はその思想を書物として残さず、組織も後継者も残さなかったために戦国時代以降他の宗派に飲み込まれたりして衰えました。

一遍上人といえばただ人の心に念仏を植え付けて歩くというだけを思って全国を行脚し、踊念仏といういわば芝居小屋で踊りの興行をし皆で阿弥陀如来に救われる嬉しさを表現しようとした人として有名です。 一遍が広げたのが時宗ですが、時宗の信者の特長は一文字を頭に付け加えてそれで阿弥陀仏という名前にしていました。 何とか阿弥というのはいわば時宗のクリスチャンネームだったわけです。

能の観阿弥、世阿弥は正式に言うと観阿弥陀仏、世阿弥陀仏です。足利氏は能阿弥、芸阿弥、相阿弥という諸芸に秀でた人々を抱えていましたし、このころの庭師にはほとんど阿弥が付いていました。 姓名一覧辞典には阿弥が付く名前が三十余り示されています。
http://kanji.reader.bz/more/%E9%98%BF%E5%BC%A5
そういえば今も使われる「元の木阿弥」の木阿弥は人物名ですよね?

なぜこのころ「何とか阿弥」という名が流布したかについて司馬氏はこう述べています。

日本の浄土思想と社会秩序の問題ですが、彼らは非僧非俗であり、阿弥陀仏という名をつけただけで、無階級の人間になれるのです。素晴らしいことだと思います。 無階級のことを方外(ほうがい)と言い、そういう人を方外の人といいました。 方外の人になれば、将軍と動座して、お能の話とかできるということになるのです。

別の見方をすると、室町時代当たりから階級制度を乗り越えるような思想が普及し始めた、庶民が貴族や将軍と同列に話ができるほどに文化といえるほどの物がひろがって行ったということができるでしょう。 そういえば今の日本文化の茶道や華道、日本庭園、禅などはこのころに源流をたどれるものばかりではないでしょうか?

遊動円木

昔学んだ小学校の校庭に「遊動円木」と呼ばれる遊具がありました。
今の学校にはほとんど見ることができませんが、私たちが小学校高学年の時には非常に人気のある遊具でした。

 

 

 

 

 

 

http://blog.goo.ne.jp/slide_271828/e/aa3f614434fc5b9cc9c8dadfae8cfa25

当時はこのような円木ではなく、鉄道の枕木風の台形の太い柱だったと思います。 両脇にいる男の子が支柱を両手で持ち足で柱をリズムよく押して大きく揺らします。 そして円木の上にどれくらい立っていられるかを競うのです。 揺れる円木の端から端まで渡れるかを競うこともありました。円木は太く重いですから、周囲で跳ね飛ばされたり落ちて地面との間に挟まれれば大けがをします。 それでもこのスリル満点の遊びは私たち悪童の大好きな遊びでした。

学校にあったのはこの写真よりもっと大きなもので、支柱も太い丸太でできていました。 円木はU字型の太い鉄棒で支えられており、勢いよく揺らすと円木が高さ50cm位にまで上がるほどの物で、今思うと当時事故が起きなかったのが不思議なくらいです。

事実過去にこの遊具で遊んでいた児童が大けがを負った事件が数多く報告されており、遊具を設置する側も事故を恐れて遊動円木を撤去するところが増え、最近ではほとんどの公共施設で見ることがなくなりました。

設置側からすると事故が起きた場合すぐに管理者責任が問われ、裁判で訴えられるようになった昨今、なるべく事故の起きにくい構造の遊具ばかりを設置するようになるのはやむを得ない気がするものの、過去この遊具で遊んだ身からすると寂しい限りで、安全優先ばかりの遊具ばかりで遊んでいると、子供のころから危険を察知する能力が醸成されないのではないかと危惧を感じます。

遊具での事故といえば、私は鉄製のブランコから落ちてけがをしたことがあります。 その頃からブランコは人気の遊びでしたが、ただブランコに乗っているだけでは面白くないので、ブランコが前に出た時手を離し、どれくらい遠くまで飛び出せるかを競っていました。 ところがあまり大きく振りすぎて却って距離が出ずに落下してしまい、着地したところに揺り戻してきたブランコの直撃を受けたのです。 幸い額に大きなこぶを作ったくらいで済みましたが今思うと極めて危険な遊びをしていたものだと思います。

当時は昼休みといっても先生は子どもたちの安全を見ているということはなく、壊れかけた遊具も結構あったような気がしますが、それなりに遊んでいましたし、上級生が下級生に危険性を知らせたり、周りが手を出したりしてして自然に防護ができていました。 今から見ると子供がやる前に大人が止めてしまうような遊びも結構していましたが、見よう見まねで自分でできる遊びの範囲を自ら習得していたような気がします。

冬の花壇

アイスバーグと山茶花の花が終わると庭にはほとんど花がなくなります。P1080583

P1080584

花のない間せめて鉢植えでも玄関にと思ってガーデンセンターで鼻を買ってきました。 ミニハボタン、ガーデンシクラメン、白いパンジーです。

パンジーは本来同じものらしいのですが、園芸店では花の大きさが約5cm以上の物をパンジー、それ以下の小さな花をビオラと区別して売っているようです。 そしてパンジーとビオラの中間の大きさのものをパノラと呼ぶ場合もあるとか。

写真は白いパンジーですが、花が大きい分花の数は少なくなります。 その点花が小さいビオラはたくさん切れ目なく咲くので人気があります。
またビオラは摘心しても脇芽から花芽が沢山出てきますが、パンジーの場合摘心してしまうと次の花芽が出るまで時間がかかってしまうために、切り戻しや摘心はしない方がよいといわれています。

P1080585

余り立体的になりませんでした。 色が沢山だとよくないとピンクと白だけにしましたが、カバープラントが少なく寂しい。 空いたところに黄色の小さなビオラを足そうかと思います。 ハボタンが大きくなって立体感が出るとよいのですが。

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